(no subject) Category:日常生活 Date:2011年03月13日 地震のニュースを見ていてこれが今の日本の状況だって信じるのが辛いです。11日の揺れを感じたとき、気分が悪くなったのを覚えています。現状報告、私は生きています。 前の記事とか生存確認を含めての更新だったのですが、無理矢理テンションあげたのバレバレですね…。 追記はちょっと自分の心境の吐け口となっています。観覧注意。 この記事に関するコメントは申し訳ありませんが、お控え願います。 私は自分が悩んでいるとき相手に言わないで自分の中に閉じ込めるんですよね。人の相談には乗っても自分の悩みは相談しないのです。理由は自分がそれを言ってしまえば相手も心配してしまうと思うから。友人が「そんな風には思わないよ」と言ってくれても不安です。 そう振る舞って「悩みとかなさそうでいいよねっ」と友人に言われたときは他人に心配をかけていないという少しの安心とわかってくれてないのかな?(私が言葉にだして言わないことも悪いですが)という気持ちもありました。勝手に気持ちを決められたような気もしていたので、正直悲しいという気持ちが大きかったです。 私がどうしようと悩んでいるときに親に言おうかな、友人にメールをしようかな、とかブログに書いたら少しは気持ちが晴れるかなと思ったのですが、結局、どれもしなかったです。理由は先程述べた通りです。 私はサイトを始める前からこのブログを運営していて、最初の頃は、悩んでることも書いていたのですが、運営していくうちに次第に来てくださっている方が増えたのでそういったことを書かなくなったんですよね。顔が見えないネット上ですし、尚更。 昨日、デッサンで質感はうまく出来たと思うのですが、終わってからパースが狂っていたかもしれない、画面が小さいかもしれない、与えられた条件に沿っていないかもしれない、不安ばかりが生じて。でも終わってしまったら取り替えしがつかないじゃないですか。自分の中で割り切ろうとしてもマイナスの感情ばかりがぐるぐる回って。 試験が終わり帰宅して、そんな風に重く考えないで楽しんで描いてよかったの。と言われ、正論だと思いました。でも、ただ、やっぱり悔しいんですよね。デッサンの学校で最終日に出来た最後の作品を誉められて、嬉しかったんですよ。通い始め、パースも距離の取り方も色と影のつけ方の違いもわからなかったのに、それがわかっていって嬉しいとか、表現したいことがなかなかできなくて、悩んだり。だから、そうやって培ったモノが自分の中で消化不良で終わってしまったことが悲しいんです。結果はまだです、割り切らなきゃいけないのに、終わってしまったのに。そういう気持ちがある人は私以外にいるかもしれないと思っても悔やみ切れないんですよね。 この記事を書いたのは自分がそういうことを思ったからです。そういう気持ちを持っている。 書いていることが支離滅裂に感じるかもしれませんが、以上で終わります。 PR